10代の記憶 忍者ブログ
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今から16年くらい前の話になります。
当時、越智一裕さんと親交を持たせて頂いており、
仕事場にお邪魔させていただいた事がありました。
しかし途中、越智さんが急用で外出され、
仮宿の仕事場だと言う一軒家で、ボーッとあたりを眺めていた時、
手持ち無沙汰を察してくれたのでしょう。
眼鏡をかけたアニメーターさんが話しかけて下さいました。

「ジュラシックパーク、観た?」
「観ました」
「日本の怪獣映画、どう作ったら面白くできると思う?」

作画机に、「空飛ぶゆうれい船」のゴーレム(海洋堂のソフビ)を乗せ、
お仕事中でお忙しかったであろうに、まだ十代の小僧相手に、
2時間程も相手をしてくれたその方とは、
互いに名乗る事も名乗られる事も無く、
ただ延々と怪獣の話をしていました。
OVA孔雀王(多分「真孔雀王」)の、
天蛇王の作画をされていた事をよく覚えています。
越智さんが戻られ、その場を去る段階となって、
初めて自己紹介をさせていただいた時の衝撃は忘れません。

「浅井真紀と申します」
「あ、かなだといいます」
「かなだ……さん?」
「金田伊功です」

頭が真っ白になりました。
それまで話していた気軽さはどこへやら、
5分ほど、ガッチガチになって、金田氏に如何に影響を受けてきたのか、
作画の違い、という概念を初めて意識しだしたブライガーのオープニングや、
食い入るように何度も何度も見返した、ペジテのガンシップなど。
途端にめんどくさいアニオタの本性を見せた小僧に、苦笑されながら

「描いてる本人はこれが普通だと思ってるから」

以降お会いする機会も無く、
当然、浅井の事など覚えてはおられなかったでしょうが、
僕にとってはささやかな自慢でした。

金田伊功さんのご冥福を、深くお祈りいたします。
 

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